20日、「 マーク・ロスコ 瞑想する絵画 」の内覧会へ行って来た。
帰って来て、ぐったりしてぼーっとして、その日はロスコのためだけの
一日になった。お昼どき、東京駅でパンとコーヒーを買ってJR総武線快速
エアポートで40分ほど、みるみるうちにあたりの植物は生き生きとして、
匂いも変わる。さらに送迎バスで20分程。そこに集まる人達はみな、
同じ場所に向かうという何とも特別なtripな感じ。ロスコはナーンにも
知らなかった学生の時に見て、秒殺。ロンドンのテートモダンでは何度も
何度も見ている。今となっては「絵画」を代表する彼の作品を、
敢えて見る気はしていなかった。なんだけれど、今回は、特別なのだ。
アーティストは大概、命をかけていると思う。伝わることでしか、
証が得られないから。人気や成功では、解決する事ではないから。
ロスコも、そんな偉大な崇高な画家のひとり。その彼が、人生の
終わりに近付いて、成し遂げたかった事を、成し遂げられずに
終わりたくないと切に願い、努力したけれど、病に伏せ、その実現を
見ないまま彼は自ら命を絶ってしまった。力を振り絞るアーティストの
軌跡が、今回の展示で見せている生々しい手紙のやり取りなどで、
とてもよくわかる。そして、今回、ロスコの頭の中で見ていた
「 本当の空間 」が時を超えて出来うる限り実現されている。
私は、静かなその場に佇んで、連なるキャンバスを目で追うごとに
色が響いて、オーケストラのようにガンガン鳴り響き心を
振わせるのを感じ、わけも判らず感極まって涙目になってしまった。
それは、テートモダンで見たロスコルームの迫力とは、全く違う。
そう、これを見た後では、明らかに音が足りていないと思う。晩年、
画家の作品に対するPUREで誠実であるが故、
折り合いなど付けられないところと、失望を思うと胸が苦しくなる。
感度が鈍ってる人は、サウナで汗をかくように、今回このシーグラム
シリーズで、ショックを受けた方がいいと思う。そこには、必死に、
生きる人 が描かれているから。Detail はこちら